浄土寺縁起

 白山市手取川の扇状地に位置する浄土寺は、釈了海、俗名大窪源左衛門尉家長によって、一五五一年(天文二十年)に創建されました。

 その頃は、本願寺第八代蓮如上人(一四一五~一四九九年)の布教活動の影響もあり、信仰心の篤い一向宗の信徒による一揆が高まりをみせていました。その結果、「百姓の持ちたる国」が百年余りもの長きに亘って続いたのです。

 源左衛門(祖父は京都山城の愛宕群嵯峨の国の出身)は手取川扇状地一帯の右岸の地四万石を領有し、河原組八千騎を率いて、一向一揆の一端を担った安吉城の城主でした。しかし、この世の無常を痛感し、自らの罪を自覚した源左衛門は、家老で姉婿の窪田大炊亮経忠氏に、城及び一切の権限を譲り、宗祖親鸞聖人(一一七三~一二六二年)の極悪深重の救いを説く真宗念仏の教えに帰依することになったのです。

 その後は、浄土院大納言郷(京都左京区浄土寺在所)の手続きにより、本願寺第十代証如上人のもと、「浄土寺」の寺号を受けて、真宗念仏の教えを説く聞法道場として現在に至ってます。